China Liaoning Jinzhou Trip with DSC HX30V 中国遼西省錦州市の旅-旅行記

 正月頃ぶらりと行ってきました。日中最高気温は零下数度の寒さでした。
 他の主要都市と同じように、新しいビルと広い道路は次から次へと建設されてきたようです。しかし、まだ古い建物はあちらこちら残っており、地上にごみが散見される箇所もまだ多いです。
 また、郊外に製油所があり、いかにもやばそうな煙をもうもうと排出されています。
 市内に入ると車の多さにびっくりします。いつまでも渋滞が続く感じでした。
 ショッピング施設とレストランは非常に充実しており、見栄えはよくないが家庭料理を安い料金で食べられる料理屋さんは沢山あります。
 地下鉄こそはないが、公共交通手段であるバスは充実しているようです。運賃も1,2元で利用しやすいです。タクシーの初乗りは北京の半分くらいです。
新しい錦州南駅。より新しい・高速の鉄道用
錦州駅。過去は中心的な存在だったが、今在来線にしか利用していない
古い建物にある家庭料理のレストラン
新しい商業ビル
また庶民向けの簡易ショップ
各種の交通手段

煙もうもう
遼瀋戦域記念館
北普陀山

筆架山島の対岸にある広場
筆架山島からの景色

「中国錦州世界園林博覧会」向けの新しい道路
旧錦州師範学院。現在渤海大学付属高校の一部
建物は少なくとも50年以上のもので、老朽化がかなり進んでいる。
今はその高校の施設としても使われていないよう。
キャンパス内にはより立派な現代ビルで埋め尽くされている

 地理的には、錦州市(きんしゅう-し)は中華人民共和国遼寧省に位置する地級市であり、遼寧省西南部の小凌河(錦水)河口部に位置し、東は盤錦市、西は葫芦島市、南は渤海の遼東湾、北は朝陽市と阜新市と接している。
  錦州は古代に「徒河」と呼ばれ、戦国時代には、燕に属し、秦による統一後、大部分は遼東郡となった。漢の時代には、幽州昌黎郡、晋の時代には、平州昌黎郡に属した。北魏、東魏、北斉では営州の管轄となり、隋および唐代は、柳城郡、燕郡に属し、唐の安東都護府の所轄となった。  「錦州」の名は遼代に始まり、遼朝の中京道、金朝の東京路、北京路に属した。元代には遼陽行中書省の管轄となり、明代では遼東都司後に遼東巡部撫に属して広寧衛が置かれ、明末には後金との攻防が繰り広げられた。清代では広寧府が、後に錦州府が置かれた。
  中華民国が成立すると当初は奉天省遼瀋道、1929年に遼寧省の帰属となった。1932年に満州国が成立すると奉天省の管轄区域となり、1934年には新設された錦州省に移管、1937年には錦州に市制が施行された。1948年、国民政府により熱河省が設置されたが、国共内戦の激化により国民政府は実効支配権を喪失、1949年1月には共産党軍により解放区として遼西省が設置され省政府は錦州市設置された。共産党軍は1954年8月に遼西省は遼東省と合併している。その後専区制度の施行に伴い錦州専区とされたが、1968年、専区が廃止され市制が施行、錦州市と改称され現在に至る。(Wikipedia)。

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